No.007 : テクストに触れるということの本質(前編)/田中裕之

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本を「一冊、二冊」という単位で数えることに疑問を抱いているという建築家の田中裕之さん。確かに一冊の本と言っても、数十ページ程度のものから持ち運ぶことを躊躇うような分厚いものまで、様々ですよね。冊数で評価しない「読書」とは一体どういうものなのでしょうか。前後編に分けて伺ってみました。
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田中裕之
1976年生まれ。慶応義塾大学大学院修士課程修了後、フランスに渡り建築設計事務所に勤務。帰国後、田中裕之建築設計事務所を設立。

写真:太田拓実

木村彩人(以下A) – 大学時代からずっと建築を専攻されていたんですか?

田中裕之(以下T) – そうです。大学院を出て、日本では勤めずにそのままフランスに行って、向こうで2年半働いた後、帰国して独立しました。独立してから3年半は経ったかな。

A – それにしても、フランスから帰ってきて、いきなり独立ってすごいですよね。

T – もともと日本での仕事経験もなかったし、もう1回勤めようかっていう選択肢はあったんですけど。帰国するときにちょっとした仕事があって、就職する前にそれだけでもやってみようと思っていたら、また次の仕事も入ってきて。結局そのまま続いたから、独立してしまいました。

ワタベカズキ(以下K) – いきなり順調すぎるじゃないですか(笑)設計されるのは個人宅が多いんですか?

T – 個人宅もあるし、商業施設もあります。家具やプロダクトも…とにかく今は依頼をいただければほぼ何でもやっています。今、日本で働いている上で、フランスにいたことは大きかったと思っていて。当然日本とは違うことばかりだったので、常に日本とフランスを頭の中で行ったり来たりして比較検討していました。

A – なるほど。建築に対して例えばフランスと日本ではどういった違いがあるんですか?

T – システム寄りのお話ですが、例えばフランスではコンペが頻繁にあって、応募を年中しています。これはヨーロッパ全般の傾向だと思いますが、通常コンペがあると、事務所側から経歴書のようなポートフォリオのようなもの送付して、主催者側がそれから何組かを選びます。選ばれると、そこから手を動かして図面なりパースなり模型なり、必要なものを準備します。負けてもお金が支払われるので、実作がなくコンペで食いつないでいる若い建築家はけっこう多いと思いますね。指名コンペとオープンコンペの中間のような感じですが、日本でよくあるオープンコンペだとせっかく図面を描いて、模型をつくったとしても負ければ一切お金がでない。その点この方法だと選ばれるまでは書類だけなので、選ばれなくても痛手は少ないですよね。
本当に頻繁に行われるので、2、3人の小さな事務所でも必ずと言っていいほど秘書がいて、日々その書類作成を行っています。
 
次に考え方、というかプロセスに関して言うと、日本に比べて模型での検討がすごく少なかったように感じます。日本のように学生を連れてくれば安価で精巧な模型が大量にできるわけではないので、そういった事情もあるかと思いますが、僕が感じていたのは、ある強固なイメージが早い段階で頭の中にあって、模型はそれを再現するだけのもののように捉えている印象がありました。すでにイメージされているので検討することは少なくなり、ゴールまで非常に早い段階でたどり着ける。
一方でパース(完成予想図)については何度もやり直して確認することが多かったですね。

 
 
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「さがみ野の家」写真:太田拓実

T – また、建築家という職業に関して、日本に比べてフランスではとても期待される職業で、社会的な責任を大きく引き受けているような印象を受けました。それに対して日本では建築家を外してしまった方が物事がスムーズに進むという様に思われている節があり、「頼んでもいないのに勝手に社会全体を引き受けてしまっているやっかいな人たち」と考える人も多くいます。
 
医者や弁護士であればトラブルや病気などの困難を伴って相談に行くので不要だと思う人はあまりいませんが、期待や希望をもって相談に行く建築家に対して、なぜかそういった不要論が出てきてしまうことはとても残念だと思います。

 
 
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「日吉の家」写真:太田拓実

レーモン・クノー / 文体練習

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T – 今日はレーモン・クノー(Raymond Queneau)の「文体練習(原題:Exercices de style)」という本を持ってきました。レーモン・クノーはフランスでおきたヌーヴォー・ロマンの先駆的な作家で、「地下鉄のザジ」などが映画化されていることもあってよく知られています。
普段、本というと単位を「1冊、2冊」と数えますよね。本を読む、読まないっていうときのよりどころになっている指標が「何冊」といういう考え方。僕はそれに違和感があって。分厚くても、薄っぺらい本でも1冊は1冊といえます。それは目安にはなるけど、人がテクストに触れるっていうことの本質とは違うのかなと思っていました。

K – 小学校の時にやらされていた読書日記はまさにそういう感じでした。読んだ冊数を記録していましたね。

T – でも本って、例えばいろいろな本の部分部分を読んで、それを自分の中で再構成して、1冊って捉えてもいいじゃないですか。やや観念的だけど、一生のうちで読んだテクストを全てまとめてしまってもよいかもしれない。一見バラバラの要素であっても、それらが繋がることによってテクストが抽象化された人生のようなものを形成しはじめると思います。そういうことを日頃から感じていて。
この「文体練習」は、「混雑したバスの中で変な帽子をかぶった若い男が、隣の乗客に腹を立てののしっている。彼は席が空いたのであわてて座る。二時間後、広場でその男をふたたび見かける。連れの男が彼のコートのボタンの付けるべき位置を指摘し、その理由を説明する。」っていう短い物語を、「擬音だけで」とか、「コメディ風に」とか、それぞれテーマを決めて99通りの文体で書いています。例えば、これはすごいですよ。「同一語の連続使用」。登場人物を全員、「納税義務者」って書いている。

K – 「納税義務者」でゲシュタルト崩壊しますね(笑)

T – そうそう(笑)これは99通りにして、文字通り「文体を練習」しているのを楽しむ本ですね。

A – 音楽に例えたらスティーブ・ライヒみたいな感じがしますね。

K – 確かに似てるかも。文章自体がミニマルで、変奏曲みたいな感覚。

T – で、最初の話に繋がりますが、この本は99パターンがたまたまこういう順番なだけで、どこから読んでもよいわけじゃないですか。読んでいると、そもそも本を読むってどういうことなんだろうっていう感じになってくる。別に99通り全部読む必要もないし、途中から飛んでも良いわけだし。シンプルな形式でありながら、極めてテクストというものについての核心を突いていると思います。

A – 99パターンを読んだ後にオチとして冒頭を読むのもアリですもんね。今まで如何に、「本」というフォーマットの前で自分が思考停止していたかを痛感します。

K – フランスって、こういう自由な考え方が普及しているイメージがあります。以前に日本とフランスの大学入試の問題の比較を見たことがあるんですけど、フランスって答えが一つじゃない問題がよく出るんですよね。質問に対して、自分が賛成なのか反対なのか姿勢を定めて、それを論理的、建設的に説明するスキルを見られるんですよ。

T – 物事の答えがひとつではなく複数ある、物事には多様性があるということを涵養することはフランスという国で暮らしていくうえでとても重要なのだと思います。もっと言えばそういう土壌があるからこそ、このような本が生まれたのではないかとも思いますね。

(後編に続く)

2010.1.8 update

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